自分を変える方法。

profile img

小玉 歩

Category:
ブログ

contents section

Share

先週の土日に御茶ノ水のホテルで、「ゴールデンマインド合宿」を開催しました。

今回で11回目の開催となり、数ある私のサービスの中でも稼げる人輩出率が最も高いものです。



この合宿を開催するたびに、思うことが2つあるんですね。

1つは、多くの人が過去に受けた心の傷を、10年単位で引きずっていること。

もう1つは、思った以上に大幅に人間を変えないと、稼げるようにはならないなということです。



一見して、この2つは無関係なような感じがすると思います。

ですが、そんなことはありません。



自分のこれまでと照らし合わせても、かなりつながっていると思います。

自分は大幅に人間を変えてきたし、それによって過去の傷を、気にしないレベルまで薄めました。



合宿の中でみんなの話を聞いていると、小学校時代に受けたいじめや、幼少期にお金に困った話が、今でも完全に尾を引いていることが見えます。

生まれながらに黄金街道を、ひたすら歩いてきた人って、そんなにいないと思うんですよね。

お金に困った話はクビ億でも散々してきたので、ここではやめておいて、それ以外の観点でお話しします。

小学校から中学校までの話

私は小学校の時はサッカー部だったのですが、喘息になってしまってスポーツができなくなりました。

まあ、サッカーは下手くそだったので、そこでどうこうというのはありませんが、田舎の中学校ってだいたい運動部に入ります。

ですが、喘息のために運動部には入れず、全く興味の無い吹奏楽部に母親の勧めで入ることになりました。

吹奏楽部なんてのは9割女性がいる部活でしたから、そういう部活に入る男ってのは陰キャラ的な扱いをされるので、メインストリームには立てないでしょう。



また、私は小学校を卒業してから引越しをして、全く誰も友達のいない中学校に入学しました。

それで、1年生の時に、同級生数名にトイレについれていかれて、ボコボコにされたことがあります。

その時のショックは大きかったのですが、私のことをトイレに連れて行った人の名前すら今は全く覚えていません。

記憶はかなり風化しています。

数学の授業は保健室へ逃げる

高校は楽器がそれなりにできたのと、勉強の成績が良かったので、推薦で入学することができました。

ただ、いざ入学すると、進学校ということもあって、周りがかなり勉強ができるわけです。

中学校の時はそれなりにできた勉強が、高校は中の下なわけですよ。

なので、勉強が一気に苦手になりました。

特に数学が苦手すぎて、数学の授業の時はほとんど保健室で寝ていました。

分からないから授業に出ない。

授業に出なくなるから、さらに分からなくなる。

完全に悪循環です。



そんなこんなで数学は致命的にできなく、2年生の時に0点を取ったりもしましたし、センター試験の数2Bは42点です。

ですから、行きたい大学に行けませんでした。

国語が198点、英語が192点、生物が100点、地理が90点です。

それに対して数1Aが70点、数2Bが42点。

記憶が微妙なのですが、だいたいこんな感じです。

いい大学は5教科6科目のところが多いので、この数学の点数では絶望的なんです。

まあ、結構な挫折ですよね。

それで、この点数でも行けそうな、国立大学を探して入った感じです。

大学進学で秋田から新潟へ

ここで、秋田から新潟に引っ越しました。

高校時代は部活を頑張っていたので、大学でも吹奏楽部に入りました。

ただ、あまりレベルの低さに絶望して、1週間くらいでやめました。

陰キャラ気味なので飲み会で盛り上がる合宿に、どうしても行きたくなかったのもあります。

中高と打ち込んできた吹奏楽をここでやめることになって困りましたね。

高校では全国大会に出るくらい気合を入れいたものを失くしました。

ここも何か心に穴が開いた感じです。



そこで、急にギターを買いました。

ゆずとか19とかが流行っていたので、完全に「なんとなく」です。

それで友達と一緒にライブをやったりして、少ないながらもファンができたり、地元のローカルラジオに出たりしました。

そんななので、大学デビューとか、陰で言われてたりしました。

まあ、事実なので反論はありません。

決まらないメジャーデビュー

音楽は結構面白くて、ファンがライブに来てくれると嬉しいわけです。

それで、のめり込んでいって、マザーランドという事務所にお世話になりました。

当時は19が所属していた事務所です。

2年くらい頑張っていて、デビューするために色んなレコード会社に売り込んでもらいました。



ただ、才能が無かったんでしょうね。

レコード会社が全く決まらずに、大学3年生になったわけですよ。

それで、お世話してくれていた人から、「どうする?就活したほうがいいんじゃない?」と言われたのですから、本当にどうにもこうにもならなかったんだと思います。



自分としてはデビューを目指していたので、これはショックではありましたが、見込みが無いということも理解しました。

そこで、リクナビを見たところ、その週末にキヤノンマーケティングジャパンの説明会があったので行ってみて、人事の人の感じが良かったので採用試験にエントリーをしたというような感じです。

だから、絶対にそこに入りたかったという訳ではなく、何となく見つけた会社で何となくいい感じだったから「いいなー」と思って受けてみたんです。

もちろん、採用試験は真面目に本気で受けていきましたけどね。

1人ぼっちの成人式

あと、大学時代には成人式が地元秋田であったので行きました。

ただ、友達がいなかったので1人で行ったわけです。

やばいでしょ?笑

完全に陰キャラなわけですよ。

でも、その時にたまたま声をかけてくれた、中学校時代の軽い知り合いが仲良くしてくれました。

彼は陸上部のキャプテンでしたから、完全に陽キャラです。

当時からしたら全く交わらない人間です。

あれ、なんで声かけてくれたのかな〜。

嬉しかったなあ・・・。

今でも彼には仲良くしてもらってます。

就職が決まり上京

そして、会社が決まって新潟から東京に引っ越しました。

会社に入ったら入ったで、カメラ販売事業部という、実は当時は微妙な部署に配属されました。

コンスーマ系でいうと、電子機器販売事業部がメインで、カメラ販売事業部はサブという感じ。

電子機器が大手家電量販店をやって、カメラはそれこそカメラ屋さんを担当する感じです。

あとは取扱商品ですね。

電子機器はIXYのようなコンパクトデジカメやPIXUSのようなプリンター。

対してカメラは一眼レフカメラが中心です。

まあ、別に期待度もそんなに無い感じの社員だったんだと思います。

ただ、ラッキーなことに、ちょうどその時にデジタル一眼レフが世の中に出てきた頃で、カメラ販売事業部がいい感じになりました。



と言っても、私は営業で長野県を担当していました。

全然メインな感じではありません。

月曜日に品川のオフィスに行って、火曜日から木曜日までは長野県を回り、金曜日には品川のオフィスに行く感じです。

長野ですから予算も大きくなく、よく個人経営のカメラ屋さんで、ケーキとコーヒーを頂いていました。

ああ・・

松尾さんとか、藤森さんとか元気にしてるかな・・・

真剣に転職を考えるほどダルい日々

そんな感じで仕事をしているので、評価も高い訳ではなく、長野を数年担当した後には、完全にダルい間接部門に異動になりました。

売上とか経費をエクセルにまとめたり、資料を整理するみたいな感じ。

かなり端っこ部署です。

25年選手の平社員がたくさんいました。

びっくりするくらい暇で、お向かいのソニーマーケティングへの転職を本気で考えた頃でした。

また、あまりにも面白くなくて、夜に居酒屋のバイトをしていました。

営業手当がなくなったので給料が5万円くらい減ったのです。

バンドに精を出し始めたのも、この頃でしたね。



ただ、これを1年くらいやっていたら、急にAmazonの担当をやることになりました。

当時はネット通販に関しては懐疑的で、エース級の人材を当てることはありませんでした。

なので、適当に「暇そうな若いヤツ」ということで、私が営業担当をすることになったのです。

社長賞受賞とメジャーデビュー

このAmazonがものすごくて、私は特に何もしなかったのに、売上がどんどん上がっていきました。

その結果、営業成績も良くなり、社長賞をいただくことができました。

私の実力は完全にゼロです。

そして、なぜかバンドでもメジャーデビューをしていました。



ただ、バンドに関しては事務所の社長が謎の金使いの荒さで、活動資金がなくなると同時に、レーベルが潰れてしまったりして、すぐにインディーズに戻りました。

多分、レコード会社からの育成金で社長が毛皮のコート買っていました。笑

そんなんで、バンド活動で輝いたっぽいのは超一瞬でしたね。

儚すぎる・・・

儚すぎて結構心を痛めました。



そのあと、会社の飲み会でビールぶちまけ事件があったり、マウス投げつけ事件があったりしました。

もう完全に浮いています、危険人物です。



バンドが微妙になると同時に、副業を始めたりしていました。

打ち込むものがなくなったので、副業に打ち込んだんだと思います。

会社に打ち込めよって話なんですけどね・・・



あとは、副業がバレて会社をやめて、今に至るって感じです。

なぜ、傷を引きずらなかったのか?

こうやって振り返ると、その時その時で傷は作っているんです。

ただ、何で引きずっていないかというと、環境の変化があったからだと思います。

その時の環境、人間関係、そういったものはそこで終えてます。

高校に行ったら中学校までの人間関係は、無くなってしまっています。

大学では住むところが完全に変わったので、環境も人間関係もリセットです。

就職した時も住むところが変わったので、環境も人間関係もリセット。

今は今で会社を辞めたので、人間関係はリセット。



リセットってことはゼロになったわけで、「新しい自分」を作ってもいいわけです。

振り返ると、そんな感じでやってきたような気がしますね。

だって、中学校時代の友達の名前も、高校時代の友達の名前も、大学時代の友達の名前も、頑張って思い出さないと思い出せないですもん。

どうせ関わりませんし。

先ほどもお話ししましたが、中学校1年の時にトイレに連れ出しにきた人が、誰だったのかも覚えていません。

さすがに出来事はうっすら覚えていますが。

サラリーマン時代の120人いた同期も、10人くらいしか覚えていません。

冷たく聞こえるかもしれませんが、傷を引きずるより100倍いいと思います。

長くなりましたが、そんな感じです。

5回くらい人生が変わっています。

これを分析すると、自分にとって良かったのは環境が変わって色んなことが都度リセットされたことだと思います。

あとは、その時に打ち込んでいたことでも、辞めてしまったら後はこだわらず、次のことに進んでいったことですね。

サッカーを引きずったり、吹奏楽部を引きずったり、バンドを引きずったり・・・

こういうことが全くありませんでした。

そんなことを思うに、普通にずーっと同じことをして生きてきた人と比べると、5回くらい人生が変わっている気がします。



いいと思いませんか?

これまでの自分を知らない所に行くので、全くのゼロから自分を作れるんですよ。

印象なんて作れますからね。

新しいコミュニティーに行って、明るく振る舞い始めれば、それはもう明るい人なわけですよ。



なので、私なんかは高校デビューだし、大学デビューだし、社会人デビューだし、起業家デビューですよ、マジで。

それって問題ありますかね??

いや、陰キャラを引きずりまくってたら、絶対に今うまくいっていないと思います。

環境が変わって自分が変わったから、なんとなくいい感じでやれているのかなと。

稼げるようになるためには自分を変えなければいけない

そして、稼げるようになるために、自分を変えなければいけないという話。

それも大幅に変えるということです。

稼げる人っていうのは、稼げる人なんです。

すごく抽象的で申し訳ないのですが、稼げない人のままでは稼げません。

分かりやすい例で言うと、決められた時間働いて決められた給料をもらう人生を続けていたとします。

いわゆるサラリーマンですよね。

そういう人が自分で稼ごうとするのは、ちょっと難しいです。

人種が全く異なるからですね。

フルコミッションの営業マンなんかは、それと比べるとうまくいく確率が高いです。

高いですけど必ずうまくいくとは限りません。

サラリーマンだからです。

ですから、サラリーマン人生を送っていた人が起業して成功するためには、全く違う自分にならなくてはいけないのです。



そういう意味で言うと、私にとってはバンド活動の経験が、かなり大きいと思います。



どうやって集客しようか?

どうやってファンを作ろうか?

どうやってチケットを売ろうか?

どうやってライブを盛り上げようか?

どうやって物販でたくさん売ろうか?



自分で考えて自分で成功をつかまなければいけないシーンが、かなり多いんですよね。

ですから、サラリーマンをやりながらもバンド活動を真剣にやることで、起業家精神は間違いなく鍛えられました。

当時からブログも書いてたりしていました。



ただ、殆どの人はそういうことをやっていなかったと思います。

私が会社の仕事以外の時間にバンド活動に精を出している頃に、サラリーマンは飲みに行ったり、テレビを見たり、土日にはゴルフをしていたと思います。

どっぷりサラリーマンです。

ですから、成功のためには、そこから自分を激変させないといけません。

いくらがんばっても環境を変えない限り自分は変えられない

自分を激変させるためには、環境を変えることで、人間関係を変えなければいけません。

なぜならば、いくら自分が変わろうと思っても、周囲のラベリングが変わらないので、そちらに自分が引っ張られるからです。

陰キャラ認定された人間関係の中で、いくら自分を変えていこうとしても、周囲が陰キャラであるとみなし続ける限り、自分は変わることができないのです。

ですから、思いっきり環境を変えなければいけません。



環境を変えるにはどうしたらいいか?

ここまでの流れで、なんとなく気づいているような気がします。

そうです、引っ越しです。

住む場所を変えて、環境を変えて、人間関係を丸ごと変えましょう。

仕事も変えるということです。

これまでの環境、コミュニティ、人間関係、自己評価まで、全て捨ててしまいましょう。

その後、自分に対するラベリングが全く無いところで、自分自身を再定義します。

そこで、ゼロから生き直します。



どこかのタイミングで過去の人間が、自分に対して過去のラベリングのまま何かを言ってくるかもしれません。

ですが、彼らはもう自分には関係ありません。

何を言われようとも、それは彼らの世界での話ですから。

まとめ

まとめましょう。

人生を変えるためには、自分を変えなくてはいけません。

稼げるようになるためには、稼げる人にならなくてはいけません。

そのためには、自分だけで変わるのではなく周囲のラベリングごと変えないと、変わることが非常に困難になります。

ですから、すべきことは、人間関係、コミュニティ、住む場所を全て含めた「環境」を変えることです。

環境を変えてゼロから自分を再定義します。

私を振り返るに、その時々で自分を再定義してきたように思えます。

そして、それが自分にとって大きくプラスに働いたと考えています。



もし、あなたが自分を変えたいと思うならば、住む場所を思いっきり変えましょう。

全てがリセットされ、新しい自分を生きることができます。

あとは、過去の評価や出来事を全く引きずることなく、全力で日々を生きるのみです。

ゼロからのスタートですから、邪魔をするものは何もありません。



このスタートから大きく人生を前進させるのは「初めての成功体験」です。

自信は成功体験の積み重ねから生まれるものであって、始めから自信満々な人はいないと思います。

そういう人は、ごく一部の「変わった人」か「極めて優れた人」でしょう。



このブログ記事に出てくる御園くん。


彼はこれまで、何をやってもダメだったタイプの人間でした。

ですが、ゴールデンマインド合宿で意識が変わり、行動を進めた結果「初めての成功体験」を手にすることができました。

一度でも成功体験があると、その後の人生は大きく激変します。

これまではダメだったかもしれませんが、これからの御園くんの人生は、間違いなく輝かしいものになるでしょう。

Category:
ブログ