「自信が無くてできません・・・。」
よくこのようなことを言われます。
「どうすれば自信がつきますか?」
このようなことも言われます。
では、どうすれば自信がつくのでしょうか?
この答えは簡単な話で「成功体験を重ねる」ということでしょう。
同じようなことは色んな場所で、色んな人が言っているので聞いたことがあるかもしれません。
ただ、やはりそれ以外は無いと思うんです。
結局、自分がいる世界、自分が取り組んでいるジャンルで、どれだけ挑戦してどれだけ上手く行ったか、その経験・体験が自信となります。
私もインターネットビジネスやインターネットマーケティングでは色々な挑戦をして、もちろん失敗したこともありますが、上手く行ったことも沢山あります。
その経験があるから、自信を持って指導ができています。
これが、何に経験も無しに自信満々の人がいたとしたら、その人は何か頭の回路がぶっ壊れているのだと思いますよ。
たまーに、そういう人もいるのですが・・・きっとそういう人は強烈な異端児なので普通の人には参考になりません。笑
ですから、何か新しい事に取り組む、さらにそのジャンルでの経験値も少ない中でのことであれば「自信が無くてできません・・・。」というのは当然のことです。
そこは、自信がどうとかいう話じゃないんですよ。
新しいことは、誰だって怖いし不安だし、「失敗したらどうしよう」なんて考えますよね。
まあ、多くのことは失敗したところで大ごとにはならないのですが。
ただ、そこで自信が無いながらも挑戦して、そこから得られた結果が自信となるわけです。
上手く行けば、それが成功体験となって自信となりますし、失敗しても、そんなの大ごとにならないので結果を分析して次に繋げれば良いだけ。
とにかく、やらないことには自信なんて一生つかないわけです。
それで、ここ最近思ったことがありまして、それは「自信って局所的なものでしかないな」って事です。
どういうことかというと、私はインターネットビジネスやインターネットマーケティングの世界であれば、どんな場面でもひるむことはないでしょう。
何千人の前で講義をやっても全く緊張しないはずです。
それは、自信があるから。
ですが、例えば英語のスピーチをやるとしましょう。
そうしたら、そのオーディエンスが20人でも緊張して震えてしまいそうです。
なぜなら、英語に自信がないから。
フェスかなんかで5,000人の前でライブをやるとしましょう。
おそらく、手が震えてミス連発です。
なぜならば、メジャーデビューはしましたが全く売れていない上にギターがド下手だから。
インターネットビジネスについての講義なら5,000人の前でも、日常的に友達と会話するのと変わらないくらいのノリで話せるのに。
まあ、もちろん多少テンションは上がりますが、マイナス方面に感情は絶対に振れません。
こんな感じで、ある場所では自信に満ち溢れるのに、場所が変われば弱々のカス野郎になってしまうわけですよ。
こんな人って私だけじゃないでしょうし、むしろ多いはず。
ですから、あなたが見ている「自信満々な人」というのも、局所的な自信かもしれないんです。
そう考えると「自信」って大した概念じゃないなーと思ったりしています。
ある所では強烈に放たれる自信オーラみたいなものは、別の場所に行ったらゼロになるかもしれないわけですから。
そして、「自信」って大した概念じゃないなーと思いつつも、それに近いようで違うのが「強さ」だと思ったんですね。
「あいつは、人として強いな」とか、そういうニュアンスで言われる「強さ」です。
これは、私の考えの中では、自信よりも深い部分にある感覚です。
ベースとまでは行きませんが、その人を形作る・・・形作るというか強い支えとなるものという感じです。
それが何なのかというと「レゾンデートル」だと思うんですね。
レゾンデートルというのは、「存在意義」とか「存在価値」と日本語で訳されるフランス語で、完全にしっくりくる日本語が無いのですが、より深く理解したい場合は各々で調べてみてください。
「他者に対する相対的な優位性を示すもの」という説明もあったりするんですけど、私が考えるレゾンデートルというのはちょっと違います。
何をもって、自分が自分を価値づけるか。
それは他人より優れているとか劣っているとか、そういう相対的な話では無く、他者に認められるとか認められないという話でも無い。
まあ、優れていて、認められていたら、それはそれで良いと思うんですけどね。
だけど大事なのはそうではなくて、あくまで自分が自分に価値を見いだせるか。
だから、それっていうのは何でも良いと思いますし、当然人それぞれ違うんと思うんですよね。
そして、これは誰もが意識できているものでもありませんし、考えてもすぐには見つからないものかもしれないです。
このレゾンデートルについて、最近自分の中でストンと落ちた物があるんです。
人って誰しもが、それぞれの価値を持っているじゃないですか。
いや、綺麗事じゃなくて普通にあるわけですよ。
大小はあるかもしれないですけど、価値の無い人間なんていないわけです。
だけど、その価値が世の中に評価されているかどうか、金銭的にだったり社会的にだったり、そんな尺度で評価されているかどうかって、まちまちな訳です。
なんて言うんだろ、同じように価値がある人なのに評価されている人もいれば、評価されていない人もいるという感じ。
私としては価値があると思っている、その人が持っている物が世の中に評価されていないって、もったいないなーとか、もったいないどころか切ないなーって思ったりしていました。
そんな中、ここ1年くらいビジネスの指導をしている中で、自分の価値を世に示せるようになった人が増えてきました。
私はビジネスを教えてお金を稼がせるということをやってきました。
稼げる人がたくさん生まれて、なんかこれ素敵だなーと思っていました。
でも、いや違うぞ、そういうことじゃないなと思ったのがここ最近。
私がテンション上がりまくるのは、その人の価値が世に認められたことなんだなと、それに気づいたわけですよ。
例えば、何か得意なことややりたいことがある人が、それに関する商品を作って販売すると。
そして、商品を購入いただけたと。
それって、その人の持っている物、価値が認められたからに違いないじゃないですか。
もうこれ凄いことだなと。
「その人の価値を的確に見つけ出して、世の中に表現することができる、その力がある。」
これが、私のレゾンデートルだと思ったんですよ。
神の啓示じゃないですけど、鮮烈に自分の中に来たというか何というか。
たくさんの人が私のところに来て、ビジネスに取り組みます。
お金をいただいて教えているので、ボランテイアではなく私としてもビジネスです。
成果を出させなければ先生としては失格なので、成果を出させるために頑張るのは当たり前です。
そして、成果を出してもらえると、とても嬉しいです。
ところがどっこい、私にとってはそういう単純な話ではなかったんですよ。
インターネットビジネスで成果を出す人が出る。
それはすなわち、その人が持つ価値を、その人が世に認めさせたということ、その力に自分がなれたということなんです。
そして、それこそが私が私自身で私自身の価値、大げさに言えば存在意義を認めることにつながっているんです。
誰かが自分の好きなこと、得意なことでマネタイズに成功するととっても嬉しい、テンションが上がる。
そして、ゴールデンルールに取り組んでいるならば、絶対に情報発信までたどり着いて、そこで成果を出して欲しいと強く言う。
転売じゃダメなんですよ。
いや、ダメじゃないけど、そこになんらか「あなたの価値」を吹き込んだ上で成果を出して欲しい。
だから、物販ならば転売じゃなくてオリジナル商品だったり、セレクトでネットショプをやって上手くいく姿を見ると嬉しい。
これも、すべて自分の中で腑に落ちました。
あなたの価値を、世に示して欲しいんです。
その示せた瞬間が、私の目の前で起こって欲しいんです。
「お前のレゾンデートルの肥やしにしてるんじゃねーよ」って言われたら、本当に返す言葉がなかなか見つからないんですけど、それでみんなが幸せになったら良いじゃん?
ダメかな?
ダメなら考え改めます・・・。
いずれにしても「その人の価値を的確に見つけ出して、世の中に表現することができる、その力がある。」ということが、私のレゾンデートルだとストンと落ちた瞬間から、自分の中で色んなことの辻褄が合って、なおかつ世間的な評価なんてものが気にならなくなりました。
今までもそんなに気になっていませんでしたが、もっと気にならなくなりました。
何よりも「その人の価値」を「世の中に表現」して「価値を認めてもらう」こと。
これを追求すること、ここに注力することが、私が世に存在すべき理由だと思っています。
そして、それをやっている限りは「自分で自分を支える力」は強くなっていくはずです。
私は幼少期や学生時代、会社員時代も、強い人間ではありませんでした。
もしかしたら、それぞれの場所でその時その時に、自信は持っていたかもしれません。
でも、それって確固たるものじゃないですよ、別に。
だけど、本当にここ最近なんですけど、自分が強くなってたきたように感じます。
もちろん、人間ですから揺らぐこともあるでしょうけど、数年前にくらべると強くなった自負があります。
それは、レゾンデートルについてストンと落ちた感覚があったから、何をすることが自分で自分自身の価値を認められるかが分かったからです。
こういう話をすると「私のレゾンデートルが見つからなくて・・・」と、今まで持ってなかった新たな心配事を持ってしまう人もいるでしょう。
でも、そんなものは考えて見つかるものではなくて、ふとした時にストンと来るように思います。
うんこしてる時とか。
そして、私もここ最近までストンと来ていなかったし、ストンと来たようでいて大いなる勘違いかもしれないし、この先揺らぐかもしれません。
ですから、まあ気にすることはないと思います。
ただ、いつかタイミングが来た時に、自分でそれがそうだと認識できると、より力強く走れると思うんですよね。
この先に、そういった感覚があった時に、今日の記事があなたの頭の片隅にあれば嬉しい限りでございます。
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