今ってすごく生きづらい世の中になったなと思うんです。
コロナ渦での自粛要請に応じない人やお店に対して、偏った正義感を振りかざし、自分たちで勝手に取り締まりや攻撃を行う自粛警察の話だったり。
TwitterやYouTubeなどのSNSでマウントをとりあい、ネットで叩いたり、叩かれたり。
ある芸能人が不倫したとなれば一斉にネットで攻撃したりと。
あなたも普段生活していて「生きづらいな~」と感じることってありませんか?
なんか正しさを押し付けてくるみたいな、あの感じですね。
でも僕は「絶対的な正しさ」なんていうものは、この世にないと思っています。
人にはそれぞれの正義があって、誰が本当に正しいかなんてわからない。
だから僕自身も表立って、誰かの投稿に文句を言ったりしないですし、TwitterやYouTube上でやりあっている人とかを見ると不毛だなぁと思ってしまうわけです。
最近、ちょっとビックリした話がありまして・・・
コロナの影響で、ホテルに泊まるときとかにアンケート用紙にチェックいれたりするじゃないですか。
たとえば
「最近2週間以内で体調を崩したりしていませんか」
「1か月以内に海外に行きましたか」
みたいな感じです。
まぁこれは感染予防対策としてわかるんですが・・・
東北に住む友人が美容室に行ったときに、そこのアンケート用紙に
「最近東京の人と会いましたか」
みたいな質問事項があったと聞いて「えっ!東京に住んでいるだけでバイ菌扱いですか?」ってちょっとおかしいぞと思ったわけです。
そう、これこそ「生きづらさの極み」だなと。
しかしながら、自分も逆の立場だったら、おそらく同じことをするかもしれないな~と考え直したり。
でも一方では、東京の人に来てもらわないとビジネス的に成り立たなくなることだってあるわけで。
つまり、安易に「どっちがいい悪い」なんて感情的になって批判できないわけですよね。
そこで、この現象の何がしんどいかを改めて考えたときに
「自分の感覚とそぐわない正義の基準のなかで生きるのがしんどい」
そう、気づいたわけです。
要するに「違和感」みたいなもの。
自分が普通だと思ってやっていることが、めちゃくちゃ否定されたりするとしんどいですよね。
逆もそうで、みんなが正しいと思ってやっていることで自分は違うと思っていることをやると、そこに違和感が生まれて「生きづらいな~」と感じる。
だからこそ、自分がどういったコミュニティに属しているかが重要なわけです。
そんな「生きづらさ」と「コミュニティ」の関係性が感じられる面白いマンガ(このマンガの本質はそこではないのですが)を最近たまたま見つけまして・・・
それが『鈴木先生』です。
ドラマ化もされている作品で、とある中学校で、生徒の引き起こすささやかな問題も、重大な試練もすべて全力で過剰に取り組む1人の熱血教師の話なんですけど、これがまたツボにハマるというか、とにかくグイグイその「異質な世界観」に引き込まれてしまうのです。
その中学校で起きる事件の数々というが
「好きな人がバレてしまう」
「トイレでうんこをしているのをバカにされる」
「給食の献立から酢豚が消える」など
一見くだらないと思える問題を生徒と先生が超シリアスに解決していく。
でもよくよく考えると、あたりまえのことですが、中学生にとっては中学校が一番の生活基盤となるコミュニティであって、そこが社会のすべてみたいな構図になるわけです。
だから、トイレで堂々とうんこができないという正義がある以上、それが本当に生きづらさの原因になってしまう。
中学校を卒業している僕にとっては、堂々とトイレでうんこする行為なんていうのは、別になんともないことなんですけど、実際にそのコミュニティのなかにいると異質な存在として見られてしまうんですね。
「小玉ってヤバくね?授業中に堂々と先生にうんこしてきますって言ってたぜ」
みたいな感じに。
その現象がネットで飛躍的になるのが、最初にお伝えしたSNS上でのマウントの取り合いだったり、ひいては正義の押し付けにつながっているんだと思います。
僕の持論は「人は一人では生きていけない」です。
そして、多くの人は次の3つのコミュニティに属しています。
①家族
②地域
③職場
この3つのコミュニティのなかでどれとも価値観が合わない場合はどんどん生きづらくなるし、しんどくなる。
しかも、しんどいからコミュニティを変えるわって簡単にいかないから、さらにしんどく感じるわけです。
たとえば、家族と一緒に住んでいる独身の人は一人暮らしするまでは、そこで生活しなくてはいけないし、結婚している人の場合であれば家族というコミュニティを変えるには離婚しなくてはなりません。
地域の例でいえば、引っ越ししないといけないし、職場の例でいえば、転職か独立しなくてはいけない。
これらすべてが簡単にできるものではないので、マジで逃げ道がないように感じて余計に苦しくなってしまう。
だからこそ、僕がお伝えしたい「精神的に快適な人生を送る方法」としての提案は
「この3つ以外で価値観のあうコミュニティを見つけて、そこに属する」
ってことなんです。
それが「自分の居場所を作る」ことだと僕は思うんです。
仮に3つのコミュニティがしんどかったとしても「自分の居場所」があれば精神的にラクになるし、「人生少しは楽しいかも」って思えるんじゃないでしょうか。
しかも、昔は遠くて通えないといった地理的な制約やそもそもコミュニティの情報がないといった環境的な制約がありましたが、今はインターネットのおかげで、ネット上のコミュニティであればどこでも参加できるようになりました。
それこそ、物理的な距離の問題がなくなり、世界中の人達とつながることができるため、海外のコミュニティに属することもできるし、ズームなどのテレビ電話機能も発達したため、リアルで会っているかのような臨場感で会話することも可能です。
そして、今ではオンラインサロンというのが代表的なコミュニティとなっていて、僕がやっているFRONTLINE WORKSみたいなビジネス系なものから、趣味に特化したオフ会みたいなものまで、本当にたくさんコミュニティが存在しています。
そういったいろんなものがあるなかで、自分にあう場所を見つけて、そこにいる人達のなかから同じ価値観を持つ仲間や同志を見つけて、楽しい時間を過ごす。
なんて素敵なことだろうと僕は思います。
一方では、それらを現実逃避と言う人がいるのも事実です。
でも僕は、逃れられない生きづらさとかしんどさのなかで人生を送るのに比べたら、よっぽど健全なことだって思うんです。
今ってネットの世界が、ほぼほぼ現実世界みたいなところもあるわけで・・・
現実世界がつらくて、しんどくてどうしようもなくて死にたいと思うくらいなら、究極、ネットのなかで生きたっていいじゃないですか・
自分で自分の居場所をつくることができる時代に、それをしないのは非常にもったいない。
コロナ禍となる前に、中国とかアジアに仕事で行っていた時期があって、向こうの人たちって割といろんなことが雑で、他人に全然気を遣わないから、こっちもじゃあいいやって感じになって、それが結構ラクだったんですね。
でも、日本はどちらかというと、多くの人が他人の目を気にして生きているから、余計に生きづらさを感じやすいイメージがあるんです。
悩みの9割は人間関係によるものとされる現代の社会。
家族、職場、仕事関係、恋人、友人、地域コミュニティ、SNSなど「それらのどこにも悩みなどない」という人はいないと思います。
たとえば、相手によかれと思ってしたことが、余計なお世話になることもあるし、遠くから見守っているほうがいいと判断して、そう振る舞ったら、相手はそれを冷たい態度と受け取って機嫌を損ねることもあるわけです。
人は一人ひとり感性も違えば、価値観も違う。
物事に対する見方も考え方も、人それぞれです。
だからこそ、このブログを読んで、今生きづらくて悩んでいる人がいたら、価値観のあうコミュニティを探して参加してみてはいかがでしょうか?
それが、自分を磨くためのコミュニティだったり、居心地が良い本当に信頼できる仲間と過ごすコミュニティだったり、いろいろあっていいと思います。
そんな生き方をしていい時代なんだと僕は考えています。
ticker
仕事2.0 ~これからの新しい働き方~